ドキュメント乳癌(乳がん)
ドキュメント乳癌(乳がん)最新緊急!! 2014.8.7
A. 抗ガン剤医療

船瀬俊介氏『抗がん剤で殺される?薬は毒?』 2014.8.7
抗がん剤で早死にし殺されていたのだと思うと悔やんでも悔やみ切れません


■抗がん剤・放射線で早死にさせている!?
    NHK教育TVは癌に抗ガン剤・放射線を進めていた!!
 
    NHK教育TVの癌放送を信じていました。
    NHK教育TVで早死にしてしまいました。
 2014.7.30
 親戚及び近親者を癌で亡くしました。抗がん剤・放射線投与し全く効きませんでした。
しかしガン細胞は一時的に消えましたが、他の臓器も消えていたようで、その後まもなく
特に痛みなど無かったのですから、半日ドックで乳ガン検診さえしていなかったら、たとえ
乳ガンであっても、知らずに生活をしていれば自然に消えたかもしれないし、もっともっと
長生きしていたと思います。
 船瀬さんのお話をもう少し「早く聞いていれば」と悔やんでます。
 15年前頃にはNHKの教育テレビで、癌には「抗ガン剤」と「放射線」の二つがあると連日
医者が出演して放送していたので信じていました。NHKに早死にさせられてしまいました。
 船瀬さん、これからも医療マフィアと闘ってください応援してます。今の医療は間違っている
と思いました。
 半日ドックの癌検診で見つかる癌は「がんもどき」なのに患者にすぐ手術して抗ガン剤を
投与し、放射線を照射して早死にさせているように思います。
 私の知人も近親者も多くが、手術して、抗がん剤して早死にして殺されていたのだと思うと
悔やんでも悔やみ切れません。船瀬さん宇野さん、コシミズさんらの話は、本当だと思います。

癌ビジネス
  https://www.youtube.com/watch?v=2kVyVklxXM4
抗ガン剤で殺される 船瀬俊介氏 証拠証言集42
  https://www.youtube.com/watch?v=dG8Ow7K4Mas
船瀬俊介氏『抗がん剤で殺される?薬って毒なの?』ダイジェスト版
  https://www.youtube.com/watch?v=sDoLCJWf1Vc
地球維新 vol.1 ベンジャミン・フルフォード No.1
  https://www.youtube.com/watch?v=aRJ02-2Vw9c
「メタボの暴走」船瀬俊介氏 ワールド・フォーラム2008年6月
  
https://www.youtube.com/watch?v=p2QN3_NXlTs



以下は2003年に書いた物です。

がん告知から、セコンド・オピニオン術後1ヶ月まで
   乳癌(がん)記録(特別手記)2003.10.01記入
 
現在女性の乳癌は、20人に1人患者が発生していると言われています。
 現在の人間ドックや通常の乳癌(がん)検診では発見されないので大問題となっています。
 マンモグラフなどによる検診方法の早急な対策が必要でしょう。
 この
私の乳癌(がん)記録(特別手記)は、乳癌を体験された方が毎日記録された手記です。
  乳癌にも色々な段階や種類によって治療方法も様々ですが日本の最新設備が整った超一流の総合病院の
名医と言われる医者の診断を受けた患者の手記です。

以下の手記は、間違った乳癌治療と判明しリンクを削除した。ご了承ください。2016.6.6
詳細は【告発】ドキュメント!!

乳癌(がん)その1 2、乳癌(乳がん)その2 3、乳癌(乳がん)その3 4、放射線科 
5、抗がん剤
その1 6、抗がん剤その2 7、抗がん剤その3 8、リハビリ

9、転移その1
 
10、転移その2  11.転移その3 
 
 最初 乳癌その1           


2003,4
初任者4名の指導者として新しい職務を不安いっぱいにスタートさせる。

 帰宅が10時11時となり、オーバーワークはなはだしく、目眩がひんぱんとなる。

6、
 初旬 
夜、TVを見ているとき、脇にしこりがあるのを発見!
勤務地の近くの内科医に診てもらい、脂肪の塊でしょうと言われる。
6、
 中旬
朝の起床時に乳房に大きな塊があるのを自分が感じる!

6,19
 (木)
担当の初任者が研修でいないので、人間ドッグを受けている病院の乳腺科に行くことにした。11時30分受付終了に11時10分頃受付をし、何かしらの覚悟をして待ち続ける。
触診するなり、先生はさりげなく、
マンモグラフィーとエコーをするようにいい、後で、針生検をして細胞をとった。そして、血液検査・肺活量・心電図をとっておきましょうとも言われた。もう、手術の準備をしていることは、よくわかった。

ここから、夫のすさまじいインターネットでの乳癌情報ゲットが始まった。でも、有難かった。変形した乳房をみるのは怖かったが、情報が沢山得られ、後々までも何回も読み直し理解していった。

乳癌は約8年ほどかけて癌に進行するもので・・・とあるが、わたしも思い返せば昭和52年ごろから2,3の病院の乳腺科を巡り、右乳が痛かったり誕生日毎に診てもらいに行ってたんだけど、左右の大きさが最近富に違っており、家族に見てもらったりしていたっけなあ。ここ2年はマンモグラフィーを撮ってなかったし・・・それに・・・最近小さなしこりにも気付いており、つい仕事にかまけたり怖くて病院に行かなかったりした結果が乳癌・・・。体力が低下しているここ3ヶ月にぐぐっと増殖したんかなあと素人判断しておりますが,閉経直後でもあり肥満度35%でもありましたし、自分でもやばいなあ!とは思っておりました・・・
もっと早く怖くなくて痛くないという情報を正確につかんでおけばよかったと思うばかりです。
7つの検査
早くしてくれてありがたかった。


診療費
12、875円
6,20
  (金)
MRIで両乳房の広がりをみた。、

G
MRI(乳房)

診療費
11,150円
6、23
 (月)
夫と共に癌の宣告を受ける。
夫はやっと「レベルは?」と尋ねる。「2か3でしょう。」とのことでした。本人はえらいことになったなあ・・・という程度でした。手術は7月1日(火)と言われる。

肺の]線と13年前の耳鼻科の手術のあとを診てもらうように耳鼻科にまわしてくれ、何も無いと言われた。
HI
肺X線
耳鼻咽喉科

診療費
3,090円
6,24
 (火)
9時にCTの注射をして、2時間待つ間、腹部エコーを撮り、骨シンチを撮った。

肝臓の映像を見ていた方が、ちょっと先生を呼んできますといい、女医さんが来て、
あやしいものがあるといわれた。診断は、主治医に聞くようにとのことであった。不安

帰ってすぐインターネットで肝臓の検索をし、転移の不安を大きくつのらせてしまった。

夫もかなりショックを受けたと思われる
JK
骨シンチ
腹部エコー

診療費
19,370円
6,25
 (水)

朝、夫がわたしの部屋に来て「やっぱり大学病院に行ってみよう!」と言う。夫の真っ直ぐな性格に素直について行く事がこの状況では最善の決断だと思い、何とか準備をして大学病院の外科乳腺科に二人で行った。

一番若い女医に乳癌についての現状や考え方を聞く
。入院は一日と聞き、驚いてしまった。

どうしたらいいのか・・・・・悩ましいことだ。
セコンド・オピニオンか・・・

外来料金
17,965円
6、26
 (木)
夫と骨シンチの結果や肝臓の結果を聞きに行き、セコンド・オピニオンのことを告げ、資料を少しいただき、夫は大学病院へ行き、わたしは肝臓のCTを撮り、ご親切にフィルムの説明を受ける。転移では無さそうだということであった。夫がなかなか帰らず、結局、夫は肝臓の疑いが大きな理由で転院を決めてきており、資料をいただきたい旨を告げる。

・・・わたしは夫に心配をかけてしまった負い目もあり、今、夫に従うことが最善策だと思うしか心には余裕がなかった。素早く検査をしてくださった先生には何の不満も無く、むしろ、うわさでは大変な技術の持ち主でありやり手ということでしたが、
何せ、他人事で遠い話だった癌というものが自分達の生活に飛び込み、大きな混乱を私達に起してしまったことはたしかなようで、私達のわがままが前の病院や担当医として受けてくださった先生など皆さんにご迷惑をおかけしてしまったのではないかという、申し訳なさは残ったが、家族の想いも計り知れなかったということでもあろう。後日また客観的なことはわかってくるのでは・・・。
L肝臓のCT

セコンド・オピニオンとは・・・

診療費
25,840円

外来料金
200円
6,27
 (金)
大学病院に一人でいき、インフォームド・コンセントを受ける。そして、肝臓のMRIを撮ってくれるよう頼む。
情報どおりの説明もあり、学習しておいたことが理解をより深くしたように思われる。2ヶ月の病休を出してくれた。

先生の穏やかな表情が安心感を与え、また、よくお話くださるので理解が納得にもつながるように思われた。よくぞ受けていただいた・・・という感謝の気持ちが言葉にならず、今思えばもう髪振り乱しての駆け込み状態であったように思われる。先生、有難うございました。

全部切除か温存療法か・・・取るもんやと思っていたので転移率2パーセントの違いとは驚いた。
どちらにしても入院は一日。(デイ、サージャリ・・・イメージができず・・・怖くて痛そうな情報ばかりだったので。姉3人も驚いていた。本人が一番驚きもものきでした。手術予定は7月8日(火)で、一週間延びた。
インフォームド・コンセント

デイ・サージャリー

外来料金
2,300円
6,28
 (土)
長男が忙しいのに帰省してくれた。
先日、電話口で何もできないことを悔やみ泣いてくれていたが、元気になっていてホッとした。心配かけさせたことが申し訳ない。
外来料金
200円
6,29
 (日)
8時からの公民館の掃除に二男が行ってくれる。夫は休耕田を一日耕す。夫の身体が心配になる。長男は仕事で長野に行ってしまう。姉が四国よりきてくれるが、家事の多さに驚き、聞いただけで疲れたようだ。67歳の姉は、大丈夫か!
7,1
 
(火)
夫からファックスが届く。免疫力の本を電車の中や昼休みに読み、ポイントを送ってくれた。不安感が身体中から抜け、安心感に変化しているのが体感できた。夫の熱心さに身体と精神が反応しているのだ。こんな自分に驚いた。精神的にダメージをいかに自分が受けていたのか逆にわかったのだが。
免疫力
NK細胞

7,2
 
(水)
夫が今朝も、免疫力を上げるという健康食品を扱っている病院に行ってみないかと、言ってきたので、後悔しないように行ってみることにした。乳癌の手術はしてよく、技術も発達しているということだった。健康食品を買って帰った。夫はそのまま会社に行ったが、何となく安心感が出てきた。・・・やっぱり、病は気からか。

姉の亡くなった夫が東洋医学をしていたが、アメリカの2000人の内科医達がこの義兄を名誉総裁にした学会を政府の援助で立ち上げたことがあったが、癌も手術、放射線、ホルモン療法、抗がん剤と定番になっているらしく癌の治癒はまだまだほど遠いのでは


という見方もあるようで・・・。義兄の息子(甥)が今、西洋医学の道を歩んでいるが、患者に優しい医術を期待するばかり・・・なんせ痛がりの怖がりのわがままオバちゃんときてますのでねえ。
代替医療
補完医学
伝統医学
統合医療
ホリスティック医療
7,3
 
(水)
親切な前の病院でフイルムをもらい、大学病院に持って行く。夫、息子、姉の3人に付き添われ、先生のお話を聞く。

温存にし、無理だったら全部切除にお願いした。
5時過ぎまで、ゆったりと受け止めていただき、有難かった。ただでさえ飛び込みで、診てクレーー!!と叫んだようなものなので。3時からは、麻酔科のインフオームド・コンセントを受けた。
決断
7,5
 
(金)
肝臓のMRIを撮る MRI肝臓

診療費
12,590円
7,6
 (日)
新任3人分の研修ノートの所見欄を書き、親切なまたご迷惑をおかけしたであろう前の先生にお手紙をしたため、一睡もできず。だいぶん手術への興奮もあり、ナーバスになっていた。
7,7
 
(月)
朝一番の手術なので、病院前の旅館に泊まることにした。二男に送ってもらう。姉3人も見舞いに四国や大阪よりかけつける。ちょっと寝られたか。しかし、東洋医学の夫を持っていた、今西洋医学を歩んでる息子を持つ姉は「明日もう取るねんからちょっと触らせてよ」と、しっかり癌をさわっていたのには、な・なんとお!!と、こんな捉え方もあるのかあ!と、怖がりの私はびっくりしてしまったのだ。12時以降は絶食。

7,8
 
(火)
8時30分前にデイ・サージャリーの受付前に行く。(夫、二男、姉3人の総勢6人で)沢山の方が来られており、日帰りのオペがけっこうあるんだなあと思った。先生がいつものおだやかな笑顔でさりげなく挨拶されたホッ!安心、安心。呼ばれて更衣室で着替える。下着と肌着はペーパーでその上にピンクの上着を着た。上着は脇がホックになっており便利。そこで出会ったおばさんが(わたしより年上)「どこが悪いのか?」と尋ねるので「乳癌です」と答えると、「私は口が開かへんのや」と言う。おーー!!こわーー!!!(ここの病院に13年前ごろのどに腫瘍ができ、入院し手術をしてもらったんだけど、あの時も同じ部屋にまばたきできないという若い女の子が入院してきたけど・・・病気は怖いなあ、ほんま。あの時は口から機械を入れて切って取っただけなのに16日入院し、掃除のおばちゃんに「何で入院してるんや」と質問されたほどだったのに・・・。)2回ほどトイレを利用。キンチョール!!

自分で歩いてオペのベッドに上がり、寝る。もうすでに、頭がぼーっとしていたように思う。オペ室に入る時手を洗っている年配の看護師さんがチラっとわたしを見たんだけど・・・わたしと歳は変わらないかも・・・なかなかしっかりした風貌で怖いような安心なような。寝てからは、怖いし目をつむっていました。すぐ、左手に「注射を今からしますが、痛いですよお・・・」注射針を入れ始めた。「痛いですよお、痛いですよお・・と2回聞こえたけど・・ちょっと痛いですが、頑張って、すぐ楽になりますからねえ・・・の方がええのになあ!でも一生懸命してくれているんやなあと思っていると、危ないからと言われたのかどうかは忘れたが、右手も固定していたように思う。それ以降は目覚めて大文字の『大」という文字が窓から目に飛び込んでくるまでは、ぐっすり、こんこんであった。6日の夜は最後の仕事もあり、神経もとんがり、一睡もできていなかったこともあって、眠れるサージャリーのおかん、という状況やったねえ。途中で夫と二男は声をかけたらしいけど、ぜえーんぜえーん、覚えてまへん!

目覚めてから、2回寝たまま尿をださせてもらう。「だめ、起きて歩きなさい」なんて言われず、自分の可能な範囲でぼちぼち目覚めさせてもらえたのが、ワガママで怖がりで痛がりナわたしとしましては、有難いことでした。しかし、思い出してみると尿を出す時に容器を腰の下に入れ込むんだけど、けっこう腰を上げないと入れられず、胸に力も入れないとできないことをしっかり力を入れてやってたんですねえ。何の痛みも無く・・・!

程なく姉が用意をしてくれていたお茶を飲み、お腹もすいてきましたので、点滴をはずし、血圧は自動的に30分間隔か不確かだが、定期的に計測されていたのもはずし、ベッ
トにもなるイスで病棟まで送ってもらった。なんせ、ピンクの色をしたお布団がかわいい。優しいピンクが目覚めたときも喜びと重なり、気分的に嬉しさを倍増したように思う。音や色も
アロマセラピー的には大きな意味を持つと体感した。



ただ、目覚めたときから、自分の胸が結局どうなったのかが気になりました。聞くのも怖いし、でも知りたいし・・・。病室に行ってから夫が何センチ切ったとかの先生から受けた説明を伝えてくれたときに、ああー、残ってるんやナァと・・・嬉しかった。無くてもなーんも思わへん、命の方が大事やと割り切っていたわりには、気になった。右乳は50年以上わたし自身でもあったんやから、感慨深いものがあった。自分ではこんなもんの一つや二つ・・・ええやん・・・ヒトより大きくてもう十分満足させてもらいましたし、ごくろうさん・・・という感じでしたが、全部切除ということでは無かったということと、残ったということも合わせて喜び感激している自分に驚き、女の子やったんやなあとも思った。
先生ありがとうございました!

夫が術後の気持ちを思って勧めてくれた温存療法に疑問はあったが・・・取り残しはないかとか、放射線は弊害もあるんじゃないかとか、25回の放射線で身も心も悪化するんじゃないかとか・・・今は
術後が楽なので、ケセラセラと思っているが。

乳癌と告知されてからインターネットでニュースを見ていたら、政府が確か10月より3ヵ年計画で国立癌センターやこの大学病院を含めた20の病院で、外科手術をせずして放射線だけで乳癌を治療する研究を開始するということであった。何の臨床
実験!?も無しにそんな大それたテーマで税金をかけてまで研究するはずがないし、きっと何らかの実績があってのことと思われるので、わたしの温存も成功してほしいなあ、成功しそうだなあと前向きに期待している。今後は可能なかぎり詳しく記録し、乳癌と対峙していこうと考えているが、楽しんでもいきたい、何故か。。

助手の先生二人が来られ、腕を上に上げさせたり胸を触ったりした。リンパ節を取った脇はしびれて感じないが、胸はなーんも痛くないが、触られると後で痛かった。
腕はよく上がった。担当医の先生も来られた。夕飯も全部すっかり食べちゃって、元気に逢えました。3回しか会っていませんので不思議でした。むくみを診たのでしょうか手を触って驚かれていました。だってわたしは緊張すると手に汗握るタイプで、ぼとぼとの汗でしたから。病院って怖いですもんねえ。(食事は全部食べましたが・。)でも以前、健康法をしていた明治生まれのおじに手に汗をかくのは肝臓が悪いからだと言われたことがあるが、今肝臓もあやしいらしいのでそうなんかなあ。抗生物質と胃薬と痛み止めの3種類の薬を4日分もらう。

夜は引き込まれるような眠りで、しんどい眠りを、目覚めては眠りの繰り返しでした。もちろんベッドはリモコンで上げ下げで、トイレにも行き、トイレも洋式もあって快適でした。汗をかいたのでせっかく持ってきたし、亡母の寝巻きとわたしの寝巻きを重ね着をして、着替えもしました。ただ、同室の方が薬のせいかお二人が交互に大声で叫ばれたのには、驚きと笑えないおかしさがありました。看護師の方々も忙しそうでした。でも、どなたも優しくて嬉しかったです。ただお隣の方が内臓をレーザーかなんかで焼いたのかよく解りませんが、うおおっと苦しそうにされてましたので、わたしはそれが一番嫌いなので嘔吐が無かった事がとても有難いことでした。一番お若い助手の方が来られ、何も無いのでお休みなさいと言われて帰られました。麻酔の薬を尿と共に流す意味で、水はできるだけとりました。

デイ・サージャリー(日帰り手術または短期滞在手術・入院)

(2時間30分の予定)

9時頃開始

乳癌の説明後、昼前に声かけ

4時ごろ入院か



温存療法か全部切除か



4,5X3,5
切除









温存療法への道







何の痛みも無く、夕食も全部食べる

7、9
 
(水)
退院前に腹部のエコーを撮るということで朝食は無しでした。まあ、これが怖がりには大変でして、自分の力で寝起きしてませんので、エコーの男の先生に抱いてもらって寝たり起きたり・・・お世話になりました。ただ、どういう設計をしたのか、狭くってねえ・・・。あれは設計ミスですね。プライバシーもありません。おばちゃんはいいんですが、手術直後ですので、さすが・・。


その後、デイ・サージャリーでリハビリや問診を受けて帰宅。
先生にご挨拶もせず、失礼しました。




怖がりわがままおばちゃんは、病院前の旅館に姉と2泊することに、夫との交渉成立。だって、病院内だって今までは解りませんでしたが、ぱっぱと歩くヒトも多くて、胸にぶつかりやしないかと怖くて歩けません。ましてや、地下鉄なんて・・・・・。上げ膳据え膳の贅沢おばちゃんですが、こんな日もあろうかと貯えは万全ですので、肉を盛り上げようとしっかり食べました。

さあ、またここで大変なことがあったのです。畳にお布団ですから、67歳の姉にまた抱いてもらって寝たり起きたり、大変でした。しかし、姉もお疲れのようで、ぐっすり。仕方ありません・・・
自分で起きました!自分で寝ころびました!!痛くないんですねえ、胸は全く。脇はむにゅうっと違和感ありますがね。
退院

診療料金
127,610円
(他院の三分の一)

内訳
入院料
  528円
投薬料
  246円
手術麻酔量
106,194円
7、10
 
(木)
姉がわたしの下着を買いに行ってる間にシャワーを浴び、着替え、昼食にレストランへ行ってみました。怖い、怖い。後ろから自転車がしゅうっと抜けていきますし、もう左手で右胸を守り必死で歩きました。

夕方は、明日の診察に向けてリハビリをしっかりしたところ、脇がもにょもにょ、ぐるぐると活発化し、どうなることかと怖かった。手術の痕も見てないので、腫れているのかも解らず、心配したが、明日の診察まで待ってみることにした。
7、11
 
(金)

術後
 3日
午後1時の診察だが10時に旅館がチェックアウトだったので、病院でじーっと待った。この短期間に大学病院のながーーい待ち時間には訓練されましたので、平気。なんせ、6時間待った(3日)こともあったし・・・。

診ていただき、
まだ水(体液か?)がたまってないということで、14日(月)に診察となった。看護師のかたにリハビリについて指導を受け、下着についても助言を受けた。
術後1回目の診察
7,12
 (土)
薬を減らしたせいか、気のせいか、脇が痛い!(夕方6時頃、HP作成のせいか)
7,13
  
(日)
今日から痛み止めの薬を一日一個に自分で決めた。薬を取りに行ったとき看護師からも癖にならないように気をつけるよう、姉が言われたらしいから。これだけの手術をして痛みが無いのも不自然かも。ほどほどの痛みも無いと・・とは言え、痛いのはストレスやでえ。だって痛みってヒトにより基準が違うし、これほどの手術における当然の痛みってどんなものなのかは、手術の内容によって違うし、どの手術にも言える共通のことしか言えないと思う。とは言え、旅館を出るとき間違って痛み止めを捨ててしまったのでこのくすりがもう5個しかないということも、一日一個につながっているんですけどね。

それにしても、
咳、しゃっくりなどをしても胸の痛みがなあーーんも無いのが有難い。

7,14
 
(月)

術後
 6日
10時からの予約に間に合うように、8時30分の普通に乗って行く。10分前に着いて待つこともなく、担当医自らたまった水をぬいていただく。注射は痛くないが、指先でつんつんと押されると痛い。まあ、これぐらいは我慢,我慢。じゃーじゃーと音がしてたっけ。どんな色か見たかったけど、この水分は何なのかは質問できた。でも、難しかったな。

以前教育TVで、どこかの脳外科だったか・・・その先生が「外科的には技術的に、例えば、ヒトの頭を挿げ替える手術はすでに可能なところまできている。」と、言われていたが、わたしの胸もリンパも何かしらの技術的な手だてで、静脈とかが開いたままになってないんでしょうね。よく解りませんが。・・・この先生は能の脚本も書いておられ、人間の可能性と技術だけでは割り切れないものを何か感じておられるようです。あのノーベル賞受賞者の湯川博士も物質を分解していくとエネルギーになるって言っておられます。・・・・・話が飛んでいきそうですが、人間は物体だけど目に見えなく触れる事もできない精神というものも存在するもので、二面的な解決をしていかないとあかんみたい。・・

だから、その技術の進歩と優しさでわたしの術後はいいんですね!

術後2回目の診察

7,17
(木)

術後
 9日
今日は担当医の診察日だったせいか3時間の待ち時間で、居眠っているところに呼び出しのベル。今日の水抜きは全然痛くなくてホッとしましたが、今朝あたりから突っ張り感があり、腕があがらず困った。胸も赤くなっていた。昨日より右手を意識して使うことにしたのだが・・・。明日より姉も帰ってしまいますので。
診察後、
人生の一大イベントである病理結果を聞くことにした。姉と二男にも入ってもらい、聞きました。
1、  脂肪にまで浸潤していた。
2、  大きくは取ったが、切断面の細胞に陽性反応が出た。
3、  陽性反応のでた細胞は、蛋白が出るという性質の悪いもので最悪癌の再発となってもそれをたたく薬は開発されている。ただし、その薬が今のところ予防になるというものではない。
4、  リンパ節への転移は15ある内の一つだけだったのが、幸いであった。
5、  2のランク
6、  今後の治療としては、蛋白の陽性反応から、放射線治療を一週間増やし、6週間となる。
7、  病休は、8月に入ってから出す。

ぼーっと聞いていたので、後で息子に聞きました。一人では恐ろしくて聞けません。
本当に人生の分かれ道です。(その割には、居眠って待っていましたが・・・)

まあ、しかし、ヒトもうらやむような健康人間だった者は、うろたえて、ただ泣くだけしかなく、判断力なんてありません。一人になると、痛い!と言っては泣き、腕が上がらないと言ってはなみだをぬぐい、孤独な闘いをせざるをえず・・・一人はいけませんなあ。
     
術後3回目の診察

病理結果が出る
7,18
  
(金)
姉が帰り、長男が帰省してくれた。休耕田の世話とお墓掃除とお米の精米を頼む。二男と夫と3人で明日より頑張ってくれることでしょう。
しびれた手で30キロのお米を運んでいたんやからねえ、わたしは。
ポテトサラダと煮込みハンバーグをつくる。ナスの漬物を切ると、右胸に鈍痛がきた。
夕食から家事への復帰
7,19
  (土)
18日に病理結果をFAXで送り、健康食品の食べ方の返事をFAXでもらう。放射線治療に向けて、腕を上げるストレッチも頑張ることにしたが・・・、できない!!泣けてくる!
一日、家族の食事をつくるのにあけくれる・・・・・娘がほしかったなあ。
右腕のストレッチに本気で取り組み開始
7,20
  (日)
結婚記念日なり。だれも・・・自分も忘れておりましたが、二男が思い出してくれたようで・・・。英会話の私だけの先生であるサンドラさんが、ジンジャーケーキパンをお見舞いに作って持ってきてくれた。娘さんのお産でシカゴに帰っていて19日の土曜日よりレッスン再開の予定だったので悪いなあ、残念やなァと思う。お向かいの元私の上司からもメロンが届き、情けない。涙でそうや。悔しいし・・・。いつもの明るいわたしでいたいのに。知らんふりしといてほしいなあ。優しくされると、悲しい分涙出てくる。いやや!
7、21
 (月)
海の日でお休み。水がたまりぱんぱんなので、助手の先生の携帯に「リンパ浮腫」との関連を質問。水がたまることがリンパ浮腫にはつながらないことが解り、明日の診察まで我慢することにした。
担当医等携帯で24時間対応
7,22
 (火)

術後2週間
11時から12時の予約にゆっくり出かける。今日が初めての単独通院なり。
助手じゃなく担当医にたっぷりの水を抜いていただいた。前回の3倍ぐらい。乳房は赤くなっているが、水はきれいなので、大丈夫とのことだった。今回は助手の方かなと思っていたので、質問を用意してたのをど忘れしてしまった。でも、緊張がとけて安心感が身体中に広がった。不思議だった。気持ちと身体がつながっているデリケートな部分を体感することが増えた。・・・見ず知らずだった担当医には右乳房の産みの親という不思議なご縁をいただき、うまくいけば命をもいただくということにもなりそうですし、大切な存在になった。

姉も帰り通院中暇ですので、長男の提案もあり、本を読むことにした。
       
@ 「医者がぼけた母親を介護するとき」集英社文庫  米山公啓
       A「がんと一緒にゆっくりと、あらゆる療法をさまよって」
              乳癌から転移・・・元NHKアナウンサー絵門ゆう子  新潮社
       B 「免疫革命」     講談社インターナショナル  
                         新潟大学大学院医学部教授 安保徹


夜中2時ぐらいまで読み、眠れず。3冊読破。すぐ読める内容。Bは、読み流す・・・放射線療法をやめろと言われても決めたし、もう・・・。
術後4回目の診察

外来料金
 200円

7,23
 (水)
朝食を作ってから、少し眠る。
       
C「いちばん新しい乳がんの本」二見書房   
             国立がんセンター中央病院外科医長  福富隆志
       D「ガンに勝つ法 セカンドオピニオンのすすめ」エール出版社 南雲吉則

TVを見ず、癌の告知を受けた直後に読んだ本を、もう一度流し読みをする。この時、胸が痛くて、痛み止め(ロキソニン錠)を、怖がりの痛がりは飲んでしまった。昨夜も横になると何だか・・・。

夫に今の心境をついついメールで送ってしまった。つらい事や心配な事など・・・ぼちぼちやりまひょか・・・という返事だった。素直に・・・うん、そうする。それしかできひんし・・
と送り返した。・・・・・未だに自分の置かれている場所が理解できない部分をかんじるもんねえ。夫のいつにない落ち着きに、病気になって心配をかけてしまった事をわびたい気がした。私の全てを一生懸命受け止めてくれようとしているのが、切なく身にしみる。
頓服薬を飲む
7,24
 
(木)
朝、ゆっくり寝かせてくれた。
       
E「文鳥、夢十夜」新潮文庫   夏目漱石
       
F「風と光と二十の私と」(坂口安吾全集4)ちくま文庫  坂口安吾 

乳癌患者は乳房を取ると、ホルモンの関係か、子宮に転移することが多いそうだが、私には子宮筋腫がたしかあるはずなので、心配になってきた。また、後何年生きられるのかなあとやっぱり思ってしまう。北野武の家族のドラマを見て大笑いをしてしまったが。  
頓服薬を飲まず
7,25
 
(金)

術後
 17日
9時30分病院に入る。静脈注射をし、乳腺科へ。担当医の診察の日なので長引くと思いリハビリのVDを見せてもらう。30分後ぐらいに呼ばれ、水を抜いてもらった
子宮との関係を質問。また先生に紹介状を書いてもらって診てもらおう・・・ホルモン剤は飲まないでいいみたいだ。
午後1時にCTを受け、肥満予防で太りにくい身体作りのため45分歩いて、本を買って地下鉄で帰る。近所で散歩は目立つので病院の帰りに散歩をして帰っているんだけど、発見も多くておもしろい。今日から姉のくれたやわらかいブラを身に付けたので、歩き易かった。

22日に読んだ元NHKアナウンサーの乳癌闘病記の番組が毎日放送で今やっている。
最近、こんな偶然がよくある。癌患者が増えている証拠か、私にとって必然か!?

      
G「菊次郎とさき」新潮文庫   ビートたけし
      H「30年の物語」講談社文庫   岸恵子
電車の中で、ついつい笑いをこらえるのに四苦八苦・・・。もう一冊流し読みをしたけどおもしろくなかったので、書き留めるほどじゃないので、やめておくことにした。

術後5回目の診察
骨シンチ

7,28
 (月)

術後
 20日
12時ごろの予約に、11時30分受付をし12時10分ごろに診察。この水は、やけどをした時の水ぶくれと同じで、身体にはいらないものだそうです。でも、この水はどこから何の為にくるんかなあ。身体の不思議だねえ。峠は越したそうですが、今回は寝にくかったし、何か棒が脇に入っているようだった。今も脇に何か丸いものが入っているようなので、またリハビリをしっかりしよう。今後、CTを撮ってから、放射線の方針が決まるようです。

肥満予防の為1時間ほど歩いて食材を買ってから帰宅。電車でご近所の先生にお逢いし、乳癌のことをぺらぺらと話す。自分でも不思議。まあ、解ってくれる方には素直になれるというものです。奥さんは明日アメリカから帰国するようで、驚かれる事でしょうね。去年お二人の広いアメリカのお宅に寄せていただいたのを思い出した。メイン州なので自然が豊かなんてとんでもない!・・・スケールが違う!!・・・来年は別荘を借りてみようかな。でも、車に乗れないと生活できないので、免許をとっておこうっと。まあ、夢だけどね・・・夫が何と言うか!?そこで絵が生まれたらなおいいねえ!死ぬまでに一冊でも絵本が完成すればもう言う事なし!!!

リハビリは水をしっかり抜いていただいたせいかとても楽にできる!

私より実践力があり私より若くして仕事を辞めたSさんからTELをもらい、しゃべる。彼女が辞めた事は2年ほどショックで、残った自分に悩んだものだが、その後突っ走った結果が乳癌だった。・・・このワガママな人間を大きく見てくれるヒトには素直になれるもんだ。彼女も子宮を病んだ過去があり、人生の闇を見たヒト。私も底なし沼の横を今通っている最中だ。お互いに解りあえるものが多くある。生きることの厳しさを実感した。

でも、自分の乳癌のことをお二人にいつもの元気さで言えたことで、何となく元気が出てきた。

それに、帰宅すると高校の先輩からの封書が届いていた。去年のグループ展が神戸であったので、京阪神にお住まいの先輩達に案内状をくばったのが、元。同窓のどなたかの息子さんが26歳で白血病と闘って亡くなり、骨髄バンクの運動も兼ねて8月に、グラフィックデザイナーだったことから、遺作展を開催するが、自分が行けないので、「あなた」・私の事・・・あなたも絵を描いているつながりで行ってきなさいという内容だった。・・・・・・・なんということ。時期が時期だけに、息子の闘病を綴った手記には涙が出た。何か見えないものに励まされているみたい。それも平成11年の8月の第一回の遺作展は、元気になって大文字の送り火を見に行く事を夢見ていたという希望の地、京都で開催されていたということが、何かしら偶然じゃない導きを感じる。なんせこの私が今年は大文字に是非行こう!と強く思っていた事、そして、サージャリー(手術)から目覚めて一番に目に飛び込んできたのが、大文字の大というほんまもんのだったんですから。今日の先輩からの手紙はまるでエンジェルが運んできてくれたようだ。わたしも来年は是非実際に見たいとおもいます。

れでほとんど放射線療法に素直に向く事ができそうだし、頑張ろう!って思った。

術後6回目の診察

峠を越える



自分の乳癌についてヒトに言えた!



楽になったリハビリ








急性白血病で亡くなった26歳のグラフィックデザイナー







7,29
 
(火)
     I「乳がん全書」法研   聖マリアンナ医科大学外科学教授
                     同大学病院乳腺科・内分泌外科部長 福田護
 
夫が読んでいたらしい本を必要なところだけ1時間ほど読む。一番知りたかった放射線療法の受け方の写真も載っていたので、ほっとした。また、性生活のことも書いてあったので安心した。編集者がこの本の企画を進めている途中に乳癌になったというドラマが、解り易い本となっていることは確かだ。 

 生きるってほんまに難しい。あんまり考えんとこ。まずは、6週間の放射線照射クリアに向けて集中!しかし、大雑把でザル頭で良かった様な気がする。最近はすぐ忘れるし、頭を振ればカラカラと音が聞こえてくるほど空っぽだし、頭ボヘミアンで良かった。考えても苦しくなるだけ。情報だけは集めておくと安心だけど、
信頼できる主治医に巡りあえることが全てを解決する基本や。・・・夫は特に私の主治医を尊敬しているほどだからラッキーでした。

最近ずっとフジ子へミングさんのリストとショパンの曲を聴きながら眠っている。もちろんラ・カンパネラも・・・。 
   
自分で考えてリハビリ+深呼吸ストレッチ30分2回を開始(縁側をしっかり開けて)

7,30
 (水)
図書館にも行けず(館長が長い知り合いで、病休をとっているので誤解されてもねえ)、
・・・可愛がっていた後輩からTELあり、また、指導していた初任者の一人からも葉書が
届く。夕方7時前、家の前の溝に草やら泥やらがいっぱいで何とか左手でスコップを持って泥を片付けていると、近所の仕事帰りのヒトにつかまる。しゃあないなあ!そっとしててほしいけど、心配してくれているんやから素直にうけましたが。

     
J「3日でクラッシックが好きになる本」KKベストセラーズ  本間ひろむ
腹式呼吸をやり過ぎたか胸痛し

7,31
 (木)
癌の告知を受けてより、一ヶ月が経過。勿論、身体は変化したが、何が変わったんだろう。自分の人生観も世界観も変わったんだろうか。これでいいのかなあ。何か考えんとあかんことがいっぱいあるような気がするけど、考えていたら涙出てきそうで止めとく。

今、大好きなサイモンとガーファンクルのCDをかけているから、涙でるんかなあ。やっぱり癌になったことは悲しいなあ。
8,1
 
(金)

術後
 24日
6時起床。シャワーの後、縁側の窓を開けて新鮮な空気をしっかり複式呼吸でいただく。もちろんストレッチも。7時24分発の電車に乗り、8時38分に受付。9時過ぎに受診。しっかり水を抜いていただく。骨への転移無しということだった。ほっ!!

自分の症状をきちんと伝えなくては・・・と思うがだいたいが感覚的な人間なので、うまく伝えられないように思う。いっぱい聞きたいこともあるような気がするが、優先順位をつけていくと、こんな事聞いてええんかなあと思ったり・・・。主治医にどこまで受け止めてもらえるのかなあと思いながらも、後悔するよりは聞いておこうと思っているが、
どんな質問にも答えてもらっているので、感謝、感謝。、5分か10分弱の診察で命に関わる濃いトークがどこまでできるのか・・・でもこれって沢山の患者を診ているお医者さまの悩みでもあるんじゃないかなあ。ひとりひとりの症状をゆっくり聞きたいでしょうしね。でも、オトナのヒトとじゃべるって疲れるし、初対面のヒトなら特に。人間ができてないと医者様は勤まらんとつくづく思う。でもでも、通院するだけで命をみつめ、底なし沼の淵を歩いているんやから、主治医によってえらい違ってくるのは間違いない。今のところ放射線照射も覚悟できたし、放射線科の先生も冷静さはあっても冷たくなくて怖くないヒトがいいな。

なんせ健康人間だったので病院が怖くて・・・。痛いのが嫌いなので怖くて・・・。でも、最近病院のイメージが変わりつつあるような気がする。患者主体の運営が感じられる。ただでさえ生きるか死ぬかという人生で大きな問題を抱えて必死な思いで来院しているんだから、患者を中心にシステムを組んでくれているのはいいな。逆に働いているヒトのストレスは無いのかなあ。病院は人間社会には必要不可欠なもの。学校は、特に公立小学校は無くなるような気がするけど。きっと見つめ方の角度を少し変えただけで、ステップアップできたんやろなあ。学校という教育はそのてん行き詰まっている

病院から帰ったらシャワーし、洗濯機が回ってる間リハビリ。もちろん縁側を開放して自然をたっぷり身体に入れて・・・。今日は久々にセミの鳴き声を聞いた。病院の木々にもわんさかいた。地中に7年いても短命なんだよねえ、セミって。しっかり生きろよって言われてるみたい。と思っていると、洗濯を干しているとき一匹のセミがわたしの近くに来て考えられないところにとまってしばらく鳴いていた。最近、不思議なことが起きる。


主治医には何でも聞こう






術後7回目の診察

水60CC


病院が変わる
8,2
 
(土)
術後
 25日
何ができないって、包丁で切るのがいちばんできない。何でもないことがサッとできない。リハビリも昨日できても今日はできないし、毎日必死。もう癌になるのはイヤ。(誰かと口げんかしてしまったし、マイナス思考)

       
(サザエさんといじわるばあさん・・・大笑いできる)
誰にも解らない症状

8,4
 
(月)
術後
 27日
夕方6時より姉と散歩に出かけた。夫の「田んぼツアー」と銘打って40分歩く。
153センチ、61,7キロ、体脂肪率34.ショックで家にすっこんでいては、身体が癌の巣になっちゃう。体質改善、ライフスタイル改善をぼちぼち考えていくことにする。
         ・ 体重は二ヶ月に1キロ減をめざす(ただし、−5キロまで、散歩で)。

近所のT夫人アメリカから帰り、手作りのバジリコペーストを持ってお見舞いに来ていただいた。わたしだけの英会話のサンドラさんからも同様にハンドメイドのジンジャーケーキをお見舞いにいただいたんだけど心がこもっていていい。何でも母や姉達の手作りで育った者にとっては何よりのプレゼントである。だって、作っている間わたしのことを思ってくれていたのだから、その気持ちが嬉しいよねえ。T夫人ってヨーヨーマのコンサートのお手伝いもしているんだよねえ。賢明な方なのに、ぱんぱらぱんのわたしごときにご親切に「買い物などわたしに出来る事なら・・・」なんて言っていただいて・・・。こんな時こそ本当の人間性というかそのヒトの愛の深さや真贋が解るもんだ。何でも気持ちだ。癌も気持ちで頑張れるとよく言われるが、そうかも。
    
 K「ぼくがすすめるがん治療」文芸春秋刊   慶応大学放射線科講師
                                 近藤誠         
                
有酸素運動
40分








人間優しささえあれば!?

8,5
 
(火)
術後
 28日
脇にエアーが入っているようで、何処にも行けないエアーがつんつんと突いて痛い程だったのに、しっかりしっかり水を抜いていただいたので・・・ななんと!!・・・帰宅後、シャワーを浴びた後の腹式呼吸+リハビリ20分間は頑張ってえ・・・なんと、なんと・・・着て行った衣服の洗濯物を干すとお・・・・・!!普通に高めの物干し竿にすいすいと干せるんだわ、これが!!!・・・やったぜ!!・・・ブラボー!!!(土曜日に家族の者とメロンを切る切らないで口げんかをしたのがウソのようだ)

  
ずっと主治医自ら水抜きしていただいたおかげです!!
     
インターネットやいろいろな本にあった乳癌外科手術後のリハビリの情報はたくさんありましたが、この病院のリハビリを19日から本気で叫んだり泣いたりしながら頑張ってきました。途中リハビリ用のVDも見せていただきましたが、そして、3回ほどの看護師によるカウンセリングやリハビリチェックも合わせて今日の成果につながったと思います。皆さんありがとう!!

肩すくみ運動と万歳運動はとても効果があり、肩を挙げるだけで胸と二の腕がばら色。水がたまると万歳の姿勢で寝るほうが楽だったので、やっといて楽、らくだった。それに、放射線照射に向けてのリハビリらしいし、一石二鳥だ。わたしには、腕をしっかり伸ばして手のひらを畳に押し付け、右や左にねじるストレッチも合っていた。これが間違ったものかどうかは、見せていただいたリハビリのVDで確認し、自分に取り入れました。

でも、もう水がたまると、後ほにゃらら時間で先生に会える・・・いやいや・・・水を抜いてもらえると、カレンダーやら時計を見ては、自分にがんばれーって言い聞かせるのがしんどかったな。そろそろ、入浴したのでしっかりはってきましたぜ、うううーー!!水は少なくなっているそうですが。大石さんの本ももうすぐ読み終わりだから、俳句でも一句といきましょうか・・・。気分転換だ。(大石さんの本を電車の中で読まなくてよかった。しっかりはなをかませてもらいました。世の中にはすごい人がいるもんだわ!)

     
L「人は生きるために生まれてきたのだから」講談社  大石邦子
         
妹さんの乳癌発病にはドッキリしてしまった
     M「松尾芭蕉集、与謝蕪村集」集英社文庫   竹西寛子

わたしの英会話のサンドラ先生が芭蕉が好きで、芭蕉の英語訳のハイクを単語をばらばらにして並べさせるんだよね。・・・日本人が読んでないのもねえ、がんばろーっと。

今日は病休の診断書を出していただいた。仕事のことを考えると頭が痛くなるんだけど
今後のライフスタイルの見通しがたてる状況を作ってからカムバックする予定だ。何せ激務だし、体力いるし・・・元気いっぱいだったわたしとしては、この路線はくずしたくないしねえ。でも生活すっかり変えたいのは正直な気持ち。もう仕事したくない!!やりがいのある仕事なので、ついついのめり込むのが見えるからねえ。

あっ、そうそう、うつ伏して本が読めた!
ずっと上か左を向いて寝ていたので、嬉しい!背中が凝っていたのよねえ。しあわせ。 
   
術後8回目の診察
水30CC

すごい成果
肩すくみ運動と万歳運動できた寝返り


8,6
 
(水)
術後
 29日
昨夜、横で寝ていた姉の叫び声で目が覚める。ムカデをつかまえていた。昨年庭で足を刺され、もうもうえらいことひどい目にあったので、ぞーっとして眠れず。今日はぼーっとし、脇の辺りがつんつんぴりぴりと痛いし、またまたカレンダーを見ては予約日までのカウントを始めた。あーー、早く金曜日になれ!

今日から生協の個別宅配スタート。やっぱり楽だわ。4日にちょっと運転して買出しに姉と行ってみたけど、ほとんど左手だけでハンドルを扱い、未だ無理だ。

お盆の用意もする。田舎はしきたり多く、メモしたノートを見ても忘れたこともあり、お向かいに電話して聞く。寝てられないのが田舎の嫁。放射線照射の計画は聞いてないがたぶん檀家の棚参りの日も留守だろうから明日夫に断ってもらうことにした。

非日常と日常
8,8
 
(金)
術後
 30日
前回の術後最高のコンディションに調子にのって運動したり動きすぎ、やっぱり炎症を起していたようだ。今日はおとなしくしておこう。

今日は忘れないようにメモをみながら沢山の質問をした。
全部答えていただき、すっきりしちゃったなそれにしても、今のところ無事な左乳に確か小さなしこりが以前あったような・・・この左乳のことを聞くと、即答で「良性でした」とのこと。びっくりしてしまった。こんな細かな事を覚えているなんて・・・さすが。手術の時にでも診たのかなあ。すごいなあ!安心、安心!

・・・最近怖い放射線照射を待っている自分がいることに気付く。前回のぴったりくっついたような状況を運動しないで、そっとしておけばよかったな・・・と悔やんでる。だって前回の5日にくっついていたのでちょうど5週目の入ったとこだし、6週目には放射線照射が可能だったはず。本では術後6週目が限度って書いてあったしね。今日の様子では傷跡が充分くっつくまでまた時間がかかり、タイムリミットをすぎるんじゃないかと憂鬱。癌が残っているので不安。でも、ここまできたらもうジタバタしてもしゃあない。なるようにしかならへん。神のみぞ知る・・・やね。看護師さん達もはらはらしているんじゃないかなあ、えらい遅いなあと。どんな状況が治っている時なのか、聞いておけばよかったなあ。運動もどの程度すればよいのか、確かめておけばよかった。・・・こういうところが、けっこう何かにつけて不確かなまま進むタイプだから・・・命にかかわることなんだけど、生き方が出るな。これは直りそうもない。この先、そう言う意味でも、不安や。

最近一人になると不安定なのかよく泣いてしまう。わたしってこの先どうなるんかなあって思う。長年の友がしびれ切らせてぼちぼち、来るな言うても来る。ただのお疲れかなと思っていたらしく、泣きそうに聞いてくれるが、こんなん、いやや。元気なわたしが一番似合ってるもん。でも、悲しい。身体って人間の心にすごい影響を与えるもんだね、負けたくないけど涙がとまらへんねん。

      
N「DIANA」実業の日本社    ケン・ウォ−フ

おばちゃんになってから、イギリスで10日間ほどホームステイし英会話学校に通っていたんだけど(なんせ仕事内容が変化し、ネイティヴな英会話力が必要になってきたしねえ)その帰り、ダイアナの英書を飛行機の中ではなをかみかみ(解らない単語はとばして)読んだっけ。また、買っちゃった(今年、8,20発行の別本)。ロイヤル・・・なぜか好きなんです。ミーハ−やろね。でも、女性としてダイアナに同情するんだ。淋しいよね、夫がこっちを向いてくれないなんて。以前、新聞で見たので英国大使館かどこか忘れたけど、ダイアナのコインを申し込んだら、ダイアナの横顔の汚い事!裏側の女王さんのまあ美しい事!!ひどい扱いや。だまされたよ。
術後9回目の診察

水10CC
8,10
 
(日)
術後
 32日
キャンプから二男帰宅。

     
O「在宅で死ぬということ」文芸春秋    押川真喜子
                               聖路加国際病院訪問看護科
                               ナースマネージャー


先輩から送っていただいた急性白血病で亡くなった鈴木さんの遺作展に行けなかった。金曜日の診察後タクシーで告別式に行き、台風なのですぐ帰宅。土日の二日間はごろごろとじっとおとなしくしていた。気分も身体もすぐれず。
8,11
 (月)
術後
 5週
担当医にお逢いできるのは嬉しいんだけど、いつまで水が出るんだろう・・・タイムオーバーになったらどうなるんだろう・・・放射線照射がきかなくなったらどうなるんだろう・・・なんて、不安いっぱいだったけど・・・嬉しい!!放射線科の予約をもらった!10回の通院でえらい覚悟ができたもんだ、あれだけ怖がっていたのに。でも、今度はどんな先生かなあ。先生によって(教師もそうだけど)ぜんぜん違うから・・・。インターネットでは予約の先生の紹介文がないので何が専門か解らないけど、冷静で優しいヒトだったらいいな。まあ、患者もいい患者にならんとあかんって、永六輔はいってるけどね。癌になった自分を受け入れることに闘っている状態で、いい患者なんて無理。自分の命を預けるヒトがどんなヒトかも解らず、いい顔なんてできるわけない。教育も同じだけど、結果が出て初めて解るし信頼ってできるのであって、時間がいるな。

担当医さま    どんな時も水抜きにお付き合いいただいてありがとうございました
手術に関わっていただいた方々  おかげでワンステップクリアできました。ありがとう
                     ございました。


でも、10回で音を上げるようじゃあ、放射線照射の30回はどうなるんかなあ。きっとストレスたまるだろうな。明日は電車の定期券を買って、30回をどうクリアしようか考えることにしよう。

術後10回目の診察

水5CCなり
8,15
  
(金)
手術を受けた右乳がとおーっても可愛くふくらんできた!!へっこんんでいた下のほうがぷっくりとふくらんできた。放射線照射に向けてのマーキングでくっついてとれないテープを息子に取ってもらう時、ちょっと反応を見たいこともあってちょっと見てもらうと「へー!普通やン!!(かわいいやん・・という意味)」・・・ほんまに良かった!
何せこの息子は術後取り出した癌をナマで見ているので驚きは相当なものでした。

先生ほんとうにありがとうございました!
美容的に結果がでた乳房

以下の手記は、間違った乳癌治療と判明しリンクを削除した。ご了承ください。2016.6.6
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『わたしは風にのって ポレポレ乳がん闘病記』
  田村 まり子著/出版:文理閣/発行年月:2006.8/
        税込価格:\1,575 (本体:1,500)

わたしは風にのって ポレポレ乳がん闘病記

   内容説明
「ポレポレ」とはスワヒリ語で「ゆっくり、のんびり」という意味。どこまで、走れるか、歩けるか…。『京都新聞』連載の闘病記「乳がんつれづれ」「続 乳がんつれづれ」をまとめる。
1 おっぱいちゃん残った(あれっ!右わきにシコリが…;お洗濯はリハビリだ;乳がんのお引っ越し?)
2 お喋り闘病記(二男のアサリ汁;今こそ!妻の務め;パステル色の春;1リットルの点滴セット

《京都新聞2006.9.5記事から》
  乳がん闘病記、田村さんが自費出版
 乳がん患者からみた日常を京都新聞朝刊(毎週火曜日)に連載している田村まり子さん(57)筆名が、闘病記「わたしは風にのって」を自費出版した。
 生死のふちをさまよいながら前向きに生きる姿が読者の共感を呼んでおり、本を通して、病気と闘う人やその家族に元気を与えてくれそうだ。
 田村さんは京都府南部に在住、54歳だった2003年6月乳がんが見つかり京都市内の病院で乳房温存手術を受けたが、リンパ節への転移が分かり、放射線や抗癌剤による治療を続けてきた。
その後、骨や皮膚、肝臓、肺にも転移ガンが広がり、現在は未承認薬の治療に望みを託している。
本には、新聞掲載されたイラストも添えている。
 田村さんは、「大きなことはできないけれど、出版を通して、病気と闘う人達のお役に立ちたかった」と話している。 本のお問い合わせは、文理閣075−351−7553。

 【告発】ドキュメント乳癌手記(2014.8.7)闘病記
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